ATHLIVIA Running Science
#25栄養2026-10-07

貧血じゃないのに、なぜ眠りが浅いのか ― 鉄とドーパミンの話

日本の大学女子選手の47%が該当する「貧血のない鉄欠乏」。ヘモグロビンより先に、削られるものがある

貧血じゃないのに、なぜ眠りが浅いのか ― 鉄とドーパミンの話
血液検査は「異常なし」だった。ヘモグロビンも正常範囲。それなのに、夜中に何度も目が覚める。脚がむずむずして落ち着かない日がある。昼はずっと眠い。走りも重い。どこも悪くないと言われたけれど、どこも良くない。

結論を先に

三つあります。

  1. 日本の大学生アスリート126人を調べたところ、WHO基準の貧血に当てはまる人は一人もいなかった。それでいて、女子選手の47%はフェリチンが30 µg/L以下だった[1]
  2. 臨床の基準値で判定すると、そういう人たちは「鉄欠乏」に分類されない。 国際大会レベルの女性持久系選手13人を調べた研究の本文には、はっきりこう書かれています ― 「臨床の基準範囲で評価すれば、この研究の選手は誰一人として鉄欠乏と判定されない」[2]
  3. 鉄が足りなくなったとき、削られるのはヘモグロビンだけではない。 脳の鉄が減るとドーパミン系が変化し、その影響は眠りの「長さ」ではなく「質」に出ます[3,4]

ただし、先に釘を刺しておきます。これは「鉄剤を飲みましょう」という話ではありません。 記事の後半で、なぜ自己判断が危険なのかを具体的に書きます。

貧血はゼロ。それでも女子の47%

2019年、筑波大学の剣道・バドミントン・野球・ハンドボール部員126人(男性79人・女性47人、年齢中央値20歳)の血液が調べられました[1]。

結果はこうです。

フェリチンの中央値は、男性が94 µg/L、女性が35 µg/L。女性のうち、15 µg/L以下という深い層が8人(17%)、15〜30が14人(30%)いました。

そして、この数字がいちばん重いかもしれません。女性の43%は、すでに経口の鉄サプリを飲んでいました[1]。飲んだうえで、この結果です。

筑波大学の運動部員126人における貧血と鉄の状態を示した図。WHO基準の貧血は男女とも0人である一方、フェリチン30マイクログラム毎リットル以下は女性47%(95%信頼区間32から62%)、男性0%。女性のフェリチン分布は15以下が17%、15超30以下が30%、30超50以下が32%で、中央値は女性35に対し男性94(Nabeyama 2023による)

この研究には限界があります。単施設・横断で、非アスリートの対照群がありません。だから「アスリート特有」とまでは言えません。またヘプシジン(鉄の吸収を抑えるホルモン)を測っていないため、なぜこうなるかの説明はついていません ― 著者自身が限界として明記しています[1]。

それでも「日本の、大学生の、ふつうの運動部員」でこの数字が出たという事実は動きません。

「正常です」の正体

もっと踏み込んだ研究があります。

国際年代別大会レベルで戦う、しかしプロではない女性持久系選手13人(ラン・バイク・トライアスロン、32±7歳)。この研究がうまいのは、募集の時点で「鉄欠乏と診断されたことがなく、鉄サプリを飲んでいない人」に限定していることです[2]。

結果、13人中6人(46%)がフェリチン30 µg/L未満。貧血はゼロ。

そして本文のこの一文が、この記事の核心です。

臨床の基準範囲で評価すれば、この研究の選手のうち鉄欠乏と判定される者は一人もいない[2]

なぜこうなるのか。臨床検査の基準範囲は、一般人口の分布から作られています。座って暮らす人にとって十分な貯蔵量が、毎日走る人にとっても十分とは限りません。アスリートの領域では30〜99 µg/Lを「機能的鉄欠乏」と呼び、健康ではなくパフォーマンスに影響しうる帯として扱う考え方があります[2]。この研究の「鉄欠乏でない」7人ですら、平均は40 µg/Lでした。

もう一つ、実務的に重要な所見があります。鉄欠乏群のCRP(炎症の指標)は、非鉄欠乏群の3.5倍でした[2]。

フェリチンは炎症で上がる指標です。つまり炎症があると、本当は低いフェリチンが高く見えてしまう。ハードな練習期に測ると、鉄不足が隠れる可能性があるということです。これは後半の「いつ測るか」に直結します。

なお、なぜアスリートで鉄が減るのかについては、走行に伴う溶血、発汗、消化管からの微量出血、月経、そして運動後に上がるヘプシジンによる吸収低下、といった経路が挙げられています[1,2]。ヘプシジンについては以前のコラムで扱いました。

ヘモグロビンは、最後に落ちる

ここまでの二つの研究が、実は同じことを示しています。

貧血がゼロなのに、フェリチンが低い人が半分近くいる。 これは、鉄が足りなくなるとき貯蔵から先に削られ、ヘモグロビンは最後まで守られることを意味します。体は酸素運搬を最優先するので、当然といえば当然です。

問題は、そこから導かれる結論のほうです。

ヘモグロビンが正常であることは、「鉄が足りている」ことの証明にならない。 それは「まだ酸素運搬に手をつけていない」というだけです。

では、ヘモグロビンより先に鉄を回してもらえなくなるのは、どこか。

脳の鉄は、血液の鉄とは別に足りなくなる

ここで舞台が変わります。

レストレスレッグス症候群(RLS、むずむず脚症候群) ― 安静時、とくに夕方から夜にかけて脚を動かしたくてたまらなくなり、動かすと楽になる。眠りにつけない、途中で起きる。人口の5〜10%が該当するとされる、ありふれた病態です。

このRLSの研究から、鉄と脳についての最も直接的な証拠が出てきました。

ジョンズ・ホプキンス大のEarleyらが25年分の研究をまとめた総説には、こう書かれています[3]。

つまり中枢神経系だけが鉄不足という状態です。血液の鉄が足りていることは、脳の鉄が足りていることを意味しません。

血液中の鉄と脳内の鉄が別々に動きうることを示した模式図。ヘモグロビンと血清フェリチンが正常範囲にある同じ人で、髄液フェリチンは低く髄液トランスフェリンは高い。脳の鉄欠乏が線条体のドーパミンD2受容体とアデノシンA1受容体の低下、チロシン水酸化酵素の増加、細胞外ドーパミンの増加につながる経路を示す。これは実データのグラフではなく模式図である(Earley, Jones & Ferre 2022の記述にもとづく)

では、脳の鉄が減ると何が起きるのか。

剖検研究では、被殻でドーパミンD2受容体が有意に低下し、被殻と黒質でチロシン水酸化酵素(ドーパミン合成の律速酵素)とその活性型が有意に増加していました[3,4]。低鉄食を与えた動物モデルでも同じ方向の変化が再現され、加えて細胞外ドーパミンが増加、線条体のD2受容体とアデノシンA1受容体がともに低下しました[3]。

ドーパミンが「減る」のではなく、合成は増えているのに受容体側が減っている ― システム全体が別の設定に移っている、という描像です。

ここで注意点を三つ。

  1. これは総説であり、動物モデルの知見をヒトにそのまま当てはめられません[3]
  2. 効果量やパーセンテージは本文に数値として示されていません。 「D2受容体が◯%減る」とは書けません
  3. この研究群はアスリートを扱っていません。 走る人で検証されたわけではありません

そして最も大事な留保。RLSは、鉄が足りない人が皆なる病態ではありません。 遺伝的な素因が強く関わる複雑形質です[4]。鉄欠乏=RLS、ではありません。

なぜ「夜」なのか

RLSのもう一つの特徴が、明確な概日パターンです。症状は夜に悪化し、朝には軽くなるか消える[3]。

そして、これに対応する所見があります。髄液フェリチンは、深夜から早朝の検体でRLS群が低く、12時間後に採った検体ではその差が消えていた[3]。

つまり「脳の鉄が足りない」という状態自体が、一日の中で強く出る時間帯を持っている。夜、寝ようとする時間に、ちょうど深くなるわけです。

「日中は平気なのに、布団に入ると脚が落ち着かない」という訴えの形は、ここから素直に説明できます。

数字で見ると、どのくらいか

ここまでは機序の話でした。では、集団で見るとどのくらいの大きさなのか。

米国の全国調査(NHANES)で、20〜49歳の非妊娠女性を分析した研究があります[5]。鉄の状態はフェリチンと可溶性トランスフェリン受容体を組み合わせた指標で判定し、年齢・人種・所得・学歴・BMI・喫煙・飲酒・身体活動・座位時間・糖尿病・高血圧・腎疾患を調整しています。

結果は、はっきり分かれました。

睡眠の指標鉄欠乏あり鉄欠乏性貧血あり
睡眠の質が悪い1.42倍 [1.02, 2.00]2.08倍 [1.29, 3.38]
睡眠時間が短い(≤6時間)1.13倍 [0.92, 1.38] ― 有意でない0.95倍 [0.73, 1.24] ― 有意でない
入眠に時間がかかる(>30分)有意な関連なし有意な関連なし

質だけが落ちています。 長さでも、寝つきでもなく。

鉄欠乏および鉄欠乏性貧血と3つの睡眠指標との調整済みオッズ比を並べた図。睡眠の質の悪さは鉄欠乏で1.42倍(95%信頼区間1.02から2.00)、鉄欠乏性貧血で2.08倍(1.29から3.38)と有意。一方、睡眠時間の短さは1.13倍(0.92から1.38)で有意でなく、入眠潜時の延長も有意な関連なし。信頼区間が1をまたぐかどうかを縦線で示す(Al Hinai 2024、NHANES 2005-2018による)

この研究の限界も書いておきます。横断研究なので因果は言えず、著者自身が「時間的前後関係と因果は評価できない」と明記しています。睡眠は自己申告のみで客観的な測定はありません。そして対象は一般女性であり、アスリートではありません[5]。

日本のデータもあります。愛媛県東温市の地域住民2,405人(平均57.9歳)を調べた研究では、食事調査から推定した鉄摂取量が最も少ない群は、最も多い群より日中の強い眠気が1.38倍[1.04–1.83]多いという結果でした(傾向性 p=0.03)[6]。

そして、この研究の面白いところはここです。主観的な睡眠障害がない人(PSQI<6)だけに絞っても、この関係は残りました ― むしろ強まって1.57倍[1.06–2.31](傾向性 p=0.04)[6]。

著者らはこう解釈しています ― 鉄欠乏は、睡眠障害とは独立に、覚醒を維持する系(ドーパミン)に関わっているのかもしれない、と。

「ちゃんと寝ているつもりなのに、昼が眠い」の一部は、ここで説明がつく可能性があります。ただしこちらは血中の鉄指標ではなく食事調査による推定摂取量であり、対象も平均57.9歳の一般住民です。若いランナーにそのまま当てはめられません[6]。

女性アスリートという交差点

ここまでの線を、アスリートの文脈で明示的につないだ資料が一つあります。

女性アスリートの睡眠研究をまとめた2024年の総説は、女性で不眠とレストレスレッグス症候群のリスクが高くなりうる要因として、妊娠、不安・抑うつ症状の高さ、向精神薬の使用と並べて、「貧血を伴わない鉄欠乏」を挙げています[7]。

同じ総説は、女性アスリートの睡眠を扱った研究が男性を扱った研究の半分以下しかない、とも指摘しています[7]。

そして、ここは正直に書きます。 「女性ランナーの◯%がRLSである」という数字を、今回は見つけられませんでした。ランナーや持久系アスリートに限定してRLSの有病率を測った研究に、行き当たりません。

否定されているのではなく、調べられていないという状態です。今回いちばん大きな穴は、そこでした。

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